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日本地誌提要
十一尾張
沿革 古へ国府お中島郡に置、〈今の国府宮村是なり〉鎌府の初、大屋安資守護の事お行ふ、足利氏の時、土岐頼康、子康行、満貞、相継て守護となる、応永中斯波義重之に代り子孫に伝へ、世京都に在て将軍の管領となり、其臣織田氏お以て守護代となす、五世義敏、同族義廉(かど)と嫡お争ひ、義敏越前に奔り、文明の末、義廉京お去り、来りて清洲城に居、曾孫義統に至て、威柄下に移り、天文の末、家臣織田信友に殺せらる、信友の同族信長、兵お興して信友お誅し、義統の遺孤義銀(かね)お清洲に奉じ、代て州事お管す、〈義銀後に信長お除かんことお図る、信長怒て之お逐ふ、〉是に於て信長、勢日盛に、遂に美濃お取り岐阜に徙り、足利義昭お京師に納れ、京畿内外二十余州お併せ、足利氏に代て兵権お掌る、天正十年殺に遭ふ、豊臣秀吉乱お定め、諸臣と会議し、其旧疆お分ち、信長の子信雄(かつ)、伊勢より清洲に移り本州お領す、十八年、秀吉其封お奪ひ、之お那須に謫し、義子秀次お封ず、文禄四年、秀次罪有て自殺す、秀吉福島正則お清洲に封ず、慶長五年、徳川氏正則お安芸に徙し、第四子忠吉お封ず、嗣なし、其弟義直代て封お受け、清洲に饋す、十五年、名古屋に城て之に遷り、子孫封お襲ぐ、忠吉の藩に就く、平岩親吉に犬山お賜ひ、之が相とす、嗣なく封除れ、成瀬正成之に代て、義直に相とし、職お世(よヽに)す、王政革新、犬山お以て〈成瀬正肥〉直に藩屏に列す、既にして皆県となし、尋で稲置県〈即犬山〉お廃して、名古屋県に併せ、改称して愛智と雲、