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三河国二葉松

三河 松汪子曰、男川、一の名は扶土(おと)川、〈今大平川と雲〉矢矧川、〈矢作矢矯〉豊川、右川三つ有、以参河と雲となり、〈◯中略〉或翁曰、三河の水源お考るに、豊川は設楽郡の神田の梺に出て、八名郡の長篠村に合ひ、宝飯郡の前芝にて海に入る、矢作川は其源南は保殿に出て、北の源大多賀の山下に巡て、黒岩にて合ひ、額田郡の西に出て、播豆郡にて海に入落る也、男川お扶土川とし、大平川とする説お取るに、大平川の源額田北の上毛呂に出て、南は宮崎に出て、保母生平にて合、大平橋お流れ、上六名に合、矢作川に合流し、海に落る也、或人の雲、大平川お三河の中に入る事信用しがたし、夫水は高源に出て北より西へ流る、是逆流と雲つべし、我壮歳より是お疑へり、諸人に尋問ひしに不決之、然るに或修行僧の曰ひけるは、三の河の中に、男川とは男川のことにて、其源加茂郡の挙母梅け坪の上四郷花本之辺より出て、一流は花園の上竹村辺より流出て、二流池鯉鮒之上駒場辺にて合、池鯉鮒と今岡との間にて、東海路お横に南へ流れ、高津川熊村苅谷の西お流れ、碧海の海に入る、考るに豊川と矢作川は順流なるに、大平川の横逆流お並べかぞへて三河とは雲ひ難し、後考お待と雲、再び按ずるに、国名風土記に、三つ之河あるに因て国の名とすると雲へば、下流短き逆流にては並べがたかるべし、当国の形容、東の端に豊川あり、中に矢作川有、西に男川ありて、三流お衽とし経とすべし、矢作第一の長流、豊川次之、男川次之、