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梧窻漫筆拾遺
三河の国より、天下お領する人の起りしこと、如何なる故と雲ふことお知らず、山川の英霊にや、鳳来山、本宮山、猿投山等、さまでの高山にも非ず、吉田川、矢矧川も、岐阻川、利根川などに比類すべきにも非ず、往古民情風俗の至りて善き処と雲ふこと、新太郎少将の諸士へ勧戒し給へる書にて知りたり、さて予〈◯太田錦城〉が所見は、山は童山のみ多くて、草木お生ぜず、灌漑の木少なく、いかにも瘠薄の地にて、下々の国と雲へり、是れ人の興るべき基源なり、旅語の公父文伯の母の言に、沃土之民不才者淫也、瘠土之民莫不郷義思也と、瘠薄の土ゆえに、人浮華に走らず、篤実倹朴にて能く勤む、是興るべきの源本なり、されども隻今にては、昔の様子とは事替りたるべし、新太郎少将の見給ふとも、最早ほめ給ふことはあるまじと思ふなり、 矢矧の橋お渡りて、西は土地肥磽の異あるは知らず、先尾張と同国様にて、四方お遠望すれば、東照神君の興り給へる国と雲ふことも、自然に知るべき形象あり、是れは別論に附す、