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東照宮御実紀

かけまくもかしこき東照宮のよつて出させ給ふその源お考へ奉れば、〈◯中略〉有親の子お三郎親氏といふ、新田の庄にひそみすまれたりしが、京鎌倉より新田の党類お捜索ひまなかりしかば、この危難おさけんがため、故郷おさすらへ出られ、〈◯中略〉三河国大浜の称名寺に寄寓せられ、こヽにうき年月お送られし間に、〈◯中略〉其頃同国松平村(○○○)に、太郎左衛門信重とて、これも近国にかくれなき富豪なり、たヾ一人の女子ありしが、いかなるゆへにか、婚嫁おもとむる者あまたありしおゆるさで年おへしに、今親氏やもめ居し給ふと見て、其女にあはせて家おゆづらんとこふこと頻なり、親氏もとより大志おはしければ、かの酒井村にて設け給ひし忠広に酒井の家おゆづり、其身は信重が懇願にまかせ、松平村にうつり、其女お妻とし、その譲りおうけて、松平太郎左衛門となのられけるが、〈◯下略〉