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古事記伝

遠江国造、師〈◯賀茂真淵〉説に此記〈◯古事記〉に国名お遠江など二字に約て書るは、後人の為なり、其は後に定まりしことなれば、此記には必遠淡海(とほつあふみ)などヽ有べきわざなりと雲れき、今考るに、此記は凡て国地名、或は一字三字にも書、又二字に書るも、多くは後に定れる字と異なり、此古の書格なり、然るに遠江など後文字の如く書る所に希にあるは、淡海と書ると准へて思ふに、信に後人の改めしことヽは見えたり、〈◯中略〉されどかの和銅六年よりやヽ前にも、国名などはかづかづ文字お択び、又二字に約られしこと有しも知がたければ、遠江なども決て後人の為とも定めがたくもあれば、今は旧の如くておきぬ、されど古の書格は、必師説の如く有しことぞかし、〈◯註略〉和名抄に、遠江〈止保太阿不三〉とあるは、阿字衍なり、登保都阿布美お約むれば登保多布美〈都阿お約めて多なり〉なり、〈今人も然雲ぞ〉万葉十四〈十五丁〉に、等保都安布美、同二十〈十六丁〉に等保多保美などもあり、さて此国には、古湖ありしお以、此名お負り、近江国の京に近きに対へて遠とは雲なり、