[p.0577][p.0578]
東京地学協会報告
国郡沿革考第二回 塚本明毅 遠江〈◯中略〉 陽成天皇元慶五年十一月五日割磐田郡、置山香郡、〈民部式首書〉是に於て十三郡となる、此十三郡の中、山香長下二郡は既に廃し、又磐田郡お割て豊田郡お置き、且浜名、麁玉、磐田、周知、山名、五郡の地、大に古昔と異なり、浜名郡六郷、今其地大抵敷知郡に入り、僅に白須賀一駅お存す、麁玉郡四郷、其碧田赤狭二郷は、今豊田郡に入り、覇多(はんた)郷〈今半田村〉は長上郡に入り、僅に三宅一郷の地お存せり、豊田郡は和名抄国郡部、敷智の次に豊田〈止与太国府〉とあり、然れども既に管十三とあり、豊田お加ふるときは十四郡なり、且郡郷部に此郡なし、蓋し後人の竄入ならん、今の盤田郡見付駅は、古の国府なりと雲ふ時は、豊田郡分立の日も、国府は必ず変遷なかるべし、長下郡八郷、其地多く詳ならずと雖も、大楊郷〈大柳村あり〉は長上郡に存し、老馬郷〈老間村〉は豊田郡に入りたれば、其地此二郡に併せたること知るべし、遠江風土記伝に、此郡の貫名郷お以て、今山名郡貫名村なるべしと雲へり、然れども其地甚だ隔絶して、且中間に古の磐田郡の郷名あれば、其説蓋し誤なり、磐田郡十四郷あり、飯宝郷重出せり、蓋誤写ならん、飯宝は飫宝(おほ)の誤にして、大之郷村あり、今山名郡に属す、其曾能(そヽの)〈今二宮村〉小野(おの)〈小野田村あり〉小谷(おや)、〈小谷田あり、今城東郡に属す、山名郡と接せり、〉及飫宝は四郷の地、今山名郡に入り、其入見(いるみ)、〈向坂中村に入見神社あり〉高苑(たかその)、〈高岡村あり〉壬生、〈今二股の地〉野中〈蓋神増野部等の地磐田原中にあり〉神戸〈中田村なり〉五郷の地は、今豊田郡に存せり、此によりて之お見れば、中世磐田郡の北方お割て豊田郡お置き、而して磐田郡南方の地、終に山名郡に入て、今僅に見付一駅お存せり、山香郡四郷、皆今周智郡に入れり、周智郡五郷、小山、〈村存す〉山田、〈同上〉依智、〈不詳〉大田、〈村存す〉は、今皆豊田郡に入り、僅に田椀(たまる)〈今円田郷〉及衾(ふすま)田〈原本山名郡に属す、説前に見えたり、〉二郷の地のみ本郡に属し、又古の山名山香二郡の地お併せたり、山名郡五郷、山名、〈山梨村是なり〉宇知、信芸(しき)、荻戸〈三郷未詳〉久努(くの)〈久野村〉の地、今皆周智郡に入り、而して古の磐田郡の南方お以て本郡とせり、 古十三郡の中、山香長下二郡既に廃し、十一郡となり、之に豊田郡お加へて、今十二郡となる、但城飼郡今城東郡と称す、