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日本鹿子

遠江国名所之部 高師山 二川の宿と白須賀の宿との間なり、北は山、南は海なり、鎌倉右大臣の歌に、 雲のいる梢はづかに露こめて高師の山に鹿ぞなくなる 塩見坂 白須賀の宿へ下る坂なり、是より南のかたは遠江灘(なだ)はるかに見へ渡り、無双の景地なり、 橋本 白砂の湊より一里なり、橋本の北に水海あり、 高師山松に夕いるかささぎの橋もとかけて月渡る見ゆ 浜名橋 入海より北の山ぎわ也、橋もとより三里余北也、いにしへは浜名お海道にせられけり、 本坂越とて、高師山の北に今もあり、はしもとは今の海道なり、 天竜川 浜松の宿と見付の宿との間に有て、大河なり、鴨の長明此河おこゆるとて、 此川のはやき流もよの中の人の心のたぐひとぞ見る 今の浦 見付の宿近所にあり、水海なり、鴨長明此所一見の時、 浪の音も松の嵐も今の浦にきのふの里の名残おぞきく 原川 袋井の宿と懸川の宿との間にある川なり、北より南へ流たり、 原川や瀬川の水のそこ清みすむ里人の心おぞしる 懸川 宿の名なり、佐野郡のうちなり、此所の名物にて葛布と雲ものお商なり、 これぞこの里のならひと門ごとに葛てふ布お懸河のしゆく 釘の浦 懸川より行程五里ばかり東南のかたにあたりて、海辺なり、相良(さがら)と雲所、湊あり、釘の浦、大礒(たいぎ)の湊と雲て、舟入也此辺お専釘の浦と雲也、当浦よりかぢ和布(め)と雲薄草、名物にて出る也、所の人の雲ならはせる歌に、 釘の浦うちくる浪の音するは沖のかぢ和布のしはざ成らん 佐夜中山 白坂の宿より金谷の宿へ越る中間也、左右ともに大木の松立こみたり、西行法師のうたに、 年たけてまたこゆべきと思ひきや命なりけり佐夜の中山 ふみまよふ峯のかけはしと絶して雲に路とふさよの中山 菊川 佐夜山東の麓なり、新坂の宿より東の海道なり、承久の合戦のとき、院宣お書し咎により、光親公関東へめしとられ下り給ひし時、昔南陽県の菊水、下流お汲てよはひおのぶる、今東海道の菊川、西岸に宿て命終と、辞世のことばお作りて、誅せられ給ひしと雲、此所也、歌に、 わすれめやかやが軒端に雨もりて袖引かぬる菊川の宿 大井川 此川は駿河遠江の堺にして、金谷の宿と島田の宿との中間お、北より南へ流出るなり、川原のうち一里あり、海道一番の大河なり、元暦元年の比、鴨長明鎌倉に下りける時、この川お過るとて、 日数ふる旅のあはれは大井川わたらぬ水もふかき色かな