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笈雉随筆

遠江浜名 あふみは、都に近き江といひ、遠江は都に遠き江と有お以て、国号とす、然るに貝原篤信の大和本草に見ゆ、後土御門院明応八年六月十日〈或は九月〉大地震動火しく洪水して、其江湖の水涸て陸となり、湖口切れて入海となる、今切の渡り是なり、荒井宿の町はづれに浜名の橋の跡あり、一説には、人皇百三代後柏原院永正七年の洪水ともいふ、三代実録に曰、元慶八年九月朔日、遠江国浜名橋長五十六丈、広壱丈三尺、高一丈六尺、貞観四年修造、歴二十四年既以破壊、勅給彼国正税稲一万二千六百三十束改造焉と、海道は本坂越とて今も有なり、 夕みてる時に行かふ旅人や浜名のはしと名付そめけん ◯按ずるに、今切渡の事は、渡篇遠江国荒井渡条に詳なり、