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比古婆衣
十八
駿河国名義 和名抄に駿河国駿河郡駿河郷あり、今按ふに、旧はするがてふ一処の地名の、例の漸々に広ごりて郷名となり、又郡名にも定められ、竟に国名にも負せ定められたるものなるべし、さて其するがてふ旧の地は、富士川の下つかたの川辺に在しなるべし、〈此考は下に雲ふべし〉名義は此川世に名だたる大なる荒川にて、ともすれば水がさ益り脹りて、岸波立て川辺ゆすり流るヽが、殊にその甚しきわたりおゆするがといへるお、ゆすの約りておのづからするがと呼びならへるものなるべし、さてゆするとは、すべて鳴響むやうの事お雲ふ言にて、そお水につきていへる例は、万葉集七巻に、大海之磯本由須理立波之、〈◯註略〉とよめるこれなり、〈沐浴、泔などの字おゆするとよむも、本の義は同じけれど、転りたる言にて、異義のごとくなれり、事長ければこゝにはいはず、〉かは処にて例多き言なるが、ことに当国には白須加、横須加、大須加など雲へる地名多し、おもひ合すべし、〈但しこれらのすかは渚処の義か、◯中略〉さてそのするがてふ旧地は、富士川の下方の川辺に在しなるべく考へたる事は、古駿河郷と称し処今慥ならず、又駿河郡と建(さだ)められたりし界域も慥ならねど、今駿東郡とて富士郡の東にあるは、古の駿河郡お東西と両に割たれたる東の方なるべければ、駿西郡はそれに接続きて西の方、今の富士郡の南の方かけて、富士川の下流も、其部内にて其処に旧のするがてふ地は在しお、又後に駿西郡お停て、富士郡に合られたるなるべし、故旧するがと雲ひし地は、今の富士郡の富士川の下流の川辺なりけむとはいへるなり、なほその国人によく訪ひ尋ねてさだむべし、