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駿河国新風土記

郡名考 駿河郡 おのれつら〳〵思ふに、そのかみしるかと雲しお、言の通ふまヽに、おのづからするかと雲なるべし、言の意は滑所(しるか)と雲義ならん、しるはしゆるの略〈しゆの反す〉なれば、するかとも雲、所おかと雲は、住所(すみか)、在所(ありか)、隠所(かくれか)などの如し、其しると雲は固の反にて、和名抄に、饘、〈和名加太加由〉厚粥也、粥〈知名志留加由〉薄糜也とあるにて、固(かた)に対してしるてふ言の例はいちしろし、扠此国名、今の駿東郡の内にするかの郷といひし所ありしとぞ、夫より起れることとぞ思はるヽ、其するかの郷と雲しは、いづくとも今は知がたし、されどもよく〳〵考るに、今うき島の原と雲あたりなるべし、今の原宿其あたりの村々、すべて中むかしよりうき島の原とは雲なり、今も田地皆深田にて、足入がたく、苗植るにも稲苅るにも船にてぞすなる、又浅き所は橇の如き物おはきて草取などするなり、此地斯てしかりければ、滑所とは名に負ひつらん、〈◯中略〉 駿河 河野通世撰述 旧事記作珠流河、類聚国史作俊河、或作洲流河、万葉集作薦河、或須流河、風土記作仙河、或作尖峨、駿河字、日本紀其余諸書皆有焉、〈◯中略〉するがてふ名の義お思ふに、万葉集高橋虫麿歌集中の歌に、打縁流、駿河能国と雲、又春日部麻呂の歌に、宇知江須流、須流河乃禰良とも雲て、えとよと音通ふなればなり、此辞おつら〳〵考るに、打よするは浪お雲るにて、下にするがと続けたるは、すは洲なり、るは寄のよお省けるにて、がは陸棲(くがすみか)などのかと同じ、人の行かふべき所(が)お雲、山が海がなど皆同じ、さればするがは洲寄る所にて、浪の洲お打寄せて、人の行かふべき所と成れるお雲、