[p.0607][p.0608]
松屋筆記
六十
伊豆駿河古は木瀬川お界とす 玉海、元暦元年八月廿一日の条に、此日定能卿来、伝聞、頼朝出鎌倉城来著木瀬川、〈伊豆より駿河之間雲々〉近暫逗留、進飛脚申雲、已所上洛仕也、但ひきはりても、不令上洛候也雲々、〈◯中略〉按、今は駿豆の二国、三島の西千貫樋の川おもて界とすれど、古は木瀬川お界とせり、伊豆志〈一の巻郡郷部〉に、鏡作(かヾみつくり)、泉水(いづみ)二郷分置の時、伊豆に属し、延喜の後、復駿河に属し、北条氏割取して伊豆とし、駿河亜相駿城に在す時、庖厨(だいどころ)料として、復駿河となると見ゆ、