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日本地誌提要
十四駿河
沿革 古へ国府お安倍郡に置、〈今の静岡是なり〉鎌府の初、武田信義に命じて、本州お管せしめ、源広綱、三浦義村、相継て守護お以て州守お兼ぬ、建武中興、脇屋義助お守護とす、正平六年、足利尊氏、今川範国お以て守護とし、府中に治す、相伝る八世、義元に至り、勢頗る強大、遠江三河お兼併す、永禄三年、織田氏と戦て敗死、子氏真嗣ぎ、州人離叛す、永禄の末、武田晴信、襲ふて府城お陥れ、氏真お逐ひ、遂に本州お奪ふ、武田氏の亡ぶる、徳川氏之お取り、遠江より移て府中に治す、天正十八年、関東に遷る、豊臣氏、中村一氏お本州に封じ、嗣忠一封お襲ぐ、慶長五年、徳川氏之お伯耆に徙し、府中お内藤信成に賜ひ、〈三万石〉大久保忠佐お沼津に、酒井忠利お田中に、天野康景お興国寺に封ず、後沼津興国寺二城お廃す、十四年、信成忠利お徙封し、徳川頼宣お全州に封じ、府城に鎮す、元和中、之お紀伊に移し、寛永元年、徳川忠長お封ず、〈元和より寛永に至るまで、田中城に城代お置き、州事お理せしむ、〉九年、罪有て国除せられ、城代お府中に置き、士隊及騎歩卒お置て戍し、松平忠重お田中に封ず、〈後に本多正矩〉元禄中、松平信治に小島お賜ひ、安永の初、水野忠友お沼津に封じ、凡て三藩、王政革新、三氏お安房上総に徙し、徳川家達(いへさと)お本州に封じ、府中に治し、改て静岡と雲、既にして廃して静岡県お置、