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古事記伝
二十七
焼遣、〈◯中略〉万葉三に、焼津辺吾去(やきづへわがゆき)しかば、駿河(するが)なる阿倍(あべ)の市道(いちヾ)に逢(あひ)し児等(こら)はも、神名式に、駿河国益頭郡焼津神社〈今も焼津村と雲あり、また野焼村と雲もあり、野脇ともいふ、〉和名抄に、同国益頭〈末志豆〉郡益頭〈万之都〉郷と見え、かの風土記にも麻賤郡など書れど、益津は音お取れる字にて、即焼津なり、〈此事谷川氏も雲りき、頭字音お取れゝば、益もやくの音お転じてやきに用ひたるなり、然るお麻志豆としも雲は、やゝ後に焼と雲ことお忌悪みて、其字の訓に唱へ更たる物なるべし、然る例他にもあるなり、〉