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駿河国新風土記

郡の事 廬原郡 後世或作庵原、廬原は浮島原に対へての名なり、古浮島原は、渺慌たる野原にして、人の家居すべき所なし、此郡浮島が原に隣りて家居多かりければ名付けるならむ、廬は民の家お雲、原は広く平らかなる義なり、旧事紀有廬原国、廬原、安倍、有度、志太、益頭五郡お合せての名なるべし、何れの御世よりか廬原の国お駿河の国に合せて、駿河は一国の大号となり、廬原は降て郡の名となれり、