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駿河国新風土記
二提要
郷庄 庄号は国中の各村にあるにあらず、臣下に賜ふ所にのみありて、公田の所には庄名なし、此国の庄名、古書に出たる事左の如し、 東鑑に出たる庄名 服織庄、八条院御領、〈安部郡なり〉 益津庄、円勝寺領とも鶴岡神宮寺領とも、〈益津郡なり〉 蒲原庄、庵原郡なり、 大岡庄、駿河郡なり、 太平記に、駿河国入江庄、〈有渡郡〉 走湯山所蔵嘉元二年文書、駿河国金持庄、〈駿東郡〉 永正年古文書、国界庄、〈同郡なり、此庄名不審、地名所々に論ず、〉 曾我物語、富士郡松風庄、今詳ならず、 古書に出たる所これらなり、中古の文書、棟札、鐘名などにあるもの、多くは不審なるのみあり、元禄年間の高附帳にしるしたる庄名、 安部郡服織庄〈一郡すべて服織庄と雲、何よりいづれなること未詳、安部山中に玉川庄と雲村あれど、古に証とすべき者なし、俗称なるべし、〉 有渡郡長田庄、〈古の郷名なり、長田或は中田に作るものあり、同じ所なり、一郡この庄名お称す、〉 志太郡大津庄、〈古の郷名なり、又御厨の名なり、庄とい〉〈ふこと古書には見へず、〉 葉梨庄、風土記の郷名なり、前に同じ、 前島庄、中古の駅の名にあり、前に同じ、 益津郡益津庄、東鑑に出たるに同じ、 廬原郡蒲原庄、同、 高部庄、下方庄、此庄名、北条五代記にもみへたり、 須津庄、 駿東郡鮎沢庄、本邦竹下村鮎沢川あり、 小泉庄、泉六け村と称す、 金持庄、前に出、 大岡庄、同、 阿野庄〈阿野栗禅師公暁も、この所に住て、阿野お以て称す、〉 上件の外に改選系譜、松平伊賀守忠晴、寛永十九年九月、賜駿河国志太郡御厨庄田中城三万石とあるは、外に見へぬ庄名なり、此御厨と雲は、いづれの御厨のなまりなりけん、若くは小楊津御厨のうちなりしや、