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南方海島志

一大島、八丈、三宅の三島は、其域小き也と雖、瀕海の民有り、山民有り、頗る俗お異にす、海浜の民は江都及諸州え舟行するお以て、衣食言語稍々豆州に類す、山民は生れ立ちのまヽにて、外人と交わらざる故、特に朴野也、衣は膝お蔽ふばかりの短衣お著し、食物も甚だ麁悪也、諸島の男女髪に元結油お用ず、婦女は紅粉お以粧することなく、皆素面也、長簪(かうがひ)、簪やうの首飾なく、推髻にて、其結びやう前後甚だゆるし、所謂倭堕髻也、言語も難弁、別して八丈小島青島は遠く隔りたる故、風俗殊に異也、言語は舟乗の外は大半通ぜず、されども昔に比すれば、風俗移り易りたり、二十年以来は、髪に元結油お用る者も間々有り、古風、漸く衰ふ、猶島々の下に其風俗お記す、 一島により風俗稍不同いえども、総て言えば朴野敦実にして、一島お一家の如くに思ひ、先祖神仏お崇敬し、親の喪お慎み、墓所は掃除して常に清し、死して大葬の惨なし、盗賊の患なく、争闘獄訟なく、往古より干戈の禍お知らず、路に遺たるお拾はず、夜る戸お閉ず、畢竟僻遠の小地なる故也、但流人多く到る島は、風俗澆醨に降りやすし、大抵流罪に遇ふ人は、内地にて凶暴無頼悪少年多し、島人その風に移ること悲むべし、〈◯中略〉 一凡島婦人女子、木お伐り薪お負ひ、畠お耕耘する、都て男子よりあらきはたらきお為す、されども耕耘の法お知らず、農業において甚疎略也、漁猟と雖、亦その方にうとし、 一凡婦人懐孕の時、産帯することなし、産甚だ安し、産婆お用ず、三宅島などは臨産で自ら家のにはに下、臼にとり付き産す、その外すべて他の力おからず、妊身の中は常よりあらき働お為す、みな難産の患なし、 一婦人女児佳節、又は神仏え請する時など皆抹額お用ゆ、新島などにてこれおしヽほと雲、富家は紫縐紗紅絹などおも用ゆ、額よりまわし頂にて結び、長く垂るヽお美と雲、貧家も相応の物にて制し、且つ短す、常にも木綿などにて抹額す、畢竟髪に油お塗ざる故、毛の乱るヽお以也、中土(もろこし)朝鮮にて網巾お用るが如し、 一冬春の間、家々酒お醸し、醗醅にて飲む、酔則歌舞、以為歓楽、皆一家に集り、其家醪尽れば又他の家に往く、島人他の楽みなし、唯此而已、 一凡島山茶樹多し、実お採り油とし、島中灯油とし、又髪に塗り、又しぼりたる後、鍋にて煮返し、凡その食物に加ふ、人お饗応する時、殊に馳走とす、さて島によりて多き処は江都え出し売る、 一凡島他屋と称して、人家お隔て山側などに、地板もなき小茅舎お造り、毎村数け所有り婦人有月事者、又臨産の婦人入之、其法経水の婦人は八九日、産婦は五十余日、其間絶て家人と往来せず、其父母雖疾而其婦来りて侍養することお不得、在他屋之婦、雖病而臨死、其子不得往而省視焉、是以其婦人大率湿邪瘴気に感じ、或は死し或は固疾お得、少婦は淫行お階す、庚寅の巡島使その傷風敗教お痛んで、島民お暁喩して曰、此事内地に無之、不慈不孝莫大於此焉、且廃業導淫、促寿召疾、自今以往禁止すること可也と、丁寧に示しければ、島人皆曰、此他なし、唯神明の祟お畏れて然り、願くは訓言に従ひ、他屋お毀ち、その跡え作物と為んと、此誠に教化之一端也、〈◯中略〉 一凡て船乗の内地と買売するに金銀お用ゆ、その外は皆交易にして金銀銭の通用なし、故に山民は畢生金銭お見ざる者もあり、物お交易する亦古風也、 一木匠、船匠、鋸工、鍛冶、桶師の工人は、島により多少有り、其他の工人すべて無し、医士亦無し、流人の内これあるか、或は土人の医方お喜(この)む者に就て薬お乞ふ、大概疾ある者薬お不服、その自ら瘳るお待つ、八丈に案摩導引の別法有り、 一戸口、天和三年夏書上、諸島合戸、凡九百十三口、凡二千三百七十三、今風土記拠に、戸二千二百五十三口、一万三千四百、僅に百年許りの間に、戸は一倍余、口は六倍になりたり、すべての島女人殊に男子より多し、新島の諺に雲、女人七分と、これはたとへば十人の内女人七人ありと雲ことなり、古えは猶更とおぼゆ、八丈島の女人国と雲たるも宜也、今男女大抵等也、人別の書上げは甚だ不審、流人多く到りて男子衆くなると雲へども、如此増すべからず、〈◯中略〉 一凡島近世迄痘瘡甚だ希也、八丈の三島及三倉島には絶て無し、或雲鹹草お啖ふが故也と非也、蓋し痘は一種の疫気にして、その気流行すれば輒発す、故に雖島人東都などえ往来する者は、乃ちこの患に罹る、