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蒼梧随筆

日本古今国数之多寡 伊豆 日本紀曰、日本武尊、歴常陸至甲斐雲々、 此時の紀に伊豆名不見、風土記抄雲、伊豆は、倭名也、東は相模、西は駿河、その間に出るの義にて、下略して伊豆と雲と雲り、日本紀応神天皇紀に雲、五年冬十月、科伊豆国、令造船長十丈、船已成、浮于海、便軽泛疾行如馳、故名其船曰枯野、〈註曰、枯野者軽野の訛か〉旧事紀曰、神功皇后御代、物部連祖天〓桙命八世孫若建命、定賜国造雲々、日本紀旧事紀共に成務天皇の御時より後に伊豆の名あり、旧事紀又雲、難波朝御代、隷駿河国とあれば、其本は駿河より分れるたが如し、