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鎌倉大草紙

伊豆国は昔より源氏重代の国也、頼政仲綱の以後、頼政の子孫代々守護たり、但二位の禅尼の時、武田信光も此国お玉はり、十け年ほど居住ありとかや、其後又頼政の子孫給はり、多田治部少輔とて、三代相続あり、此人々の建立しける中花山禅長寺と号して、頼政以来の木像あり、河内と雲所にて、山の堂とも頼政堂とも申て于今有、尊氏公の御代に、畠山阿波守国清、其息尾張守、二代関東の執事にて、此国の守護と成、彼人の建立の寺、瑞竜山吉祥寺と申于今有、木像も有之、其内上杉山の内憲顕給はりて、代々関東の管領也、今又堀越殿関東の主君として、此国へ御下向有しからは、当国は関東には吉例有国にて、源家有縁の所也、