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東京地学協会報告
国郡沿革考第二回 塚本明毅 伊豆 伊豆三郡、後世分て君沢郡お置き、郡境尽く変遷せり、和名抄、田方郡十三郷中、小河(おがわ)〈三島の地〉依馬(えま)〈江間村あり、〉天野(あまの)、〈村存す〉吉妾(きせふ)〈木負村あり〉及鏡作五郷の地、今君沢郡となり、久寝(くづみ)〈後葛見又久須美庄と称す、伊豆山より宇佐美に至る諸村、〉直見(たゝみ)、〈蓋熱海の地〉有弁(うへ)の東方三郡は、加茂郡に入る、 君沢郡は、伊豆志稿雲、鎌倉以後君沢庄あり、元禄十四年、代官小長谷氏の時、川原谷塚原等十八村お以て君沢郡とす、按ずるに、君沢庄、戦国の世既に郡となり、故に正保図に此郡あり、寛文復古の時、之お停め、元禄十四年に至て、再び此郡名お復せしなり、小長谷氏の創置せしに非ざるなり、