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甲斐叢記

国名 凡本州の地形は、〈◯中略〉山梨、八代、巨摩、三郡の内、東西河内二領お除き、九筋に分てり、釜無笛吹の二川、郡中お劃け、山岳四方に駢峙ち、谿壑八面に環共て、自ら藩籬となる、内に九筋の道お開き、二十三所の関〈下に出づ〉お置て、東南北の三面に交通れり、其間の群流の会聚る所お三戕牁(かし)〈鰍沢青柳黒沢の三村〉といふ、此処にて一道の富士川となり、東南へ流るヽ事十八里にして、南海に注る、〈道路の条に委しく記す〉其疆界、南北お経とし東西お緯とす、〈周礼の天官冢宰、体国経野、疏曰、南北謂之経、東西謂之緯、〉経の延袤凡二十五里余、緯は上広くして凡二十五里、下窄して十四五里より拾里に至る、山川田野相錯れる中に駅路あり、所謂甲州道中なり、府城に至て分岐て〈右は信州へ趣き、左は駿州に出づ、〉Y字の如し、緯お分ちて三条とし、武川、逸見、北山、万力〈九筋の名〉お一条とす、水晶良材莨菪百菓薬草お産す、西郡、中郡、大石和(おほいさは)、小石和、栗原、〈上に同じ〉都留郡お一条とす、腴にて稲美く、綿軟く菓樹奇品お生じ、上品の絹紬お出す、闔国第一の饒なる地なり、又東西河内領お一条とす、巣鷹お産し、硯石お出す、金鉱ありて砂金お淘採り、良材お伐て桴お下し、楮三椏お植て紙お製れり、万民此の三条の中に生養孳息て、稼嗇お勤め産業おなす、且つ東西に巨防あり、南北は信駿二州お擁き、東山東海の二道に介り、山河関梁点綴て、一匹の錦の文采る如し、自然に形勝備りて、天府の国と謂つべし、中世武田氏、此嶮に拠りて武徳お耀かし、五百余年の星霜お保ちし事宜なるかな、其俗驕り傲て、各常に門地お論じ、気概お尚び、武術お好む、是は山川風土の気に由といへども、亦武田氏の遺風の漸染なる所なるべし、