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甲陽軍鑑
二十品第五十七
其年〈◯天正九年〉七月、穴山殿御異見に、〈◯中略〉当方によき御城お一つ御かまへあるべく候、信玄公御武勇私ならざる故、御屋敷かまへまでにて御座被成候、甲州四郡の内に御城無之候儀は、信玄公御武勇と申内に、戒力おもつて如件、〈◯中略〉今は輝虎の様なる弓取、諸方の大将にも無之候と、穴山殿仰らるヽに付、勝頼公猶もと思召、同年七月より、甲州にら崎に新府中(○○○)お取立給ふは、武田の家滅却のもとなりとは、後こそしられたれ、仍如件、 七月甲府の諸寺、新府中へこす、