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甲斐国志
一提要
郡名 一巨摩郡、〈◯中略〉按に巨麻〈今作巨摩〉駒なり、地多産駒馬、因為郡名、風土記、有巨摩郷、〈今属北山及逸見、和名抄脱此郷名、〉木賊(とくさ)川は白峯(しらみね)の下に在り、〈今雲能呂川、為早川之源、〉其西大山列岳十数里にして人跡なし、信州伊奈郡の界とす、小田(おだ)谷在西保(にしぶ)、蓋自玉諸川直径して到于此、古へ山梨郡の界なり、〈今以荒川為界〉磐橋は今雲縄橋、是なるべし、地属駿州、長貫村より内房村〈駿河風土記に作内富瀬、伏流の義なるべし、〉へ済る、伝へ雲ふ、古時は磐石の下、不尽川の水伏流せり、因所名なり、後に磐橋崩れ落て、以藤蘿造橋となり、妙寿寺山未詳、蓋金峯の北面に有薬師岳、信州佐久郡の界とす、亦八岳(やつがたけ)の西有大門岳、〈出中山道長久保駅〉旧本州域内なりしと、今は属諏訪郡、堺筋と称する地の続なれば、若此等ぞ廃寺の遺従ならんか、亦此岳の東、根場原(ねんばのはら)の辺にも廃邑の名あり、