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甲斐叢記

庄名(○○) 山梨郡 山前(やまさき) 又山埼とも作けり、今も酒折の東に続きて山埼村あり、〈◯中略〉 立川 或は竪川、太刀川とも作けり、今万力村より溝水お引分つ、十八箇村お総称へる名なり、〈◯中略〉 大八幡 又巨麻郡にも同名あり〈◯中略〉 牧 窪八幡より北加美郷、おしなべて称す、〈◯中略〉 中牧 武河牧の地にして、杣口、千野、野宮、城古寺、窪平、倉科等の諸村これなり、〈◯中略〉 加納 神内川村、古へ狩野川鹿野川とも作れり、小石和筋の金川原村も、狩野川原と作けり、是等も加納の転語ならんか、〈◯中略〉 一条 旧一条の館と雲は、今の府城の地なり、すべて此辺の庄名とす、 志磨 庄の内に湯島と称せし地あり、後世庄名の志磨お省て湯村と呼ぶ、〈◯中略〉 小松 小松村は古府の西に在り、古時は西小松と雲、〈◯中略〉 油川 庄名、古書に見えたる事なし、油川氏の起りし処なるにて因て称しにや、猶考ふべし、 八代郡 八代 郡名に記せり 国衙 郷名に記せり 井上 上に同じ、又東鑑に、建暦三年、和田一族の闕所お、勲功の賞に被行、井上庄は大須賀四郎胤信とあり、 一宮 本都塚村浄泉寺の本尊厨子の銘に、甲州山梨懸一宮庄都塚郷雲々、永正四年とあり、〈◯中略〉 長江 郷名に記せり 向山 上下向山、中畠、心経寺、右左口(うばくち)、藤垈(ふぢぬた)、九一色(くいしき)郷の下蘆川より、東八村お合て十三箇村、中道に係りたる諸村お向山庄といひ伝れども、古書には未見ず、〈◯中略〉 浅利 浅利とは、山渓土砂お吐て、水のあせて浅くなれるよしの名なるべし、今も浅利村の東疆に浅利川あり、砂石殊に多し、村名に依て庄とす、〈◯中略〉 曾根 郷名に記せり 青島 又市川庄ともいへり、富士川の涯に青島新田と雲処あり、是其名の遺れるなり、〈◯中略〉 巌間 東河内領にては、勝れて豊饒なる土地なり、〈◯中略〉 巨摩郡 多磨 多磨は玉なり、〈◯中略〉金峯の西麓に連りたる処にて、其下流お玉川と雲ふ、此渓の左右に傍たる数村お、多磨庄といふ、 穂坂 牧名に記せり 熱那(あつな) 或は厚菜、阿津名、熱名と作けり、西南は界河お限り北は八が岳の麓にかヽれる数村お雲ふ、〈◯中略〉 大八幡 今大八田と作きて、是おおほばつたと唱ぶは、おほやはたお訛れるなるべし、〈◯中略〉 武河(むかは) 下郷起請文に、六河衆何某とあり、宮脇村某の蔵てる旧記に、六河郷内折井、入戸野(につとの)、円井(つぶらい)、五十貫とあり、〈◯中略〉 甘利 大井 共に郷名に記せり 鷹津名 平林村鷹尾寺嘉吉三年の棟札に、胡麻郡鷹津名庄平林之郷とあり、〈◯中略〉 北条 大井郷の内、中世の庄名なり、〈◯中略〉 南条〈◯中略〉 古時は八代郡黒沢村も、大井南条に属ける趣なれば、刀禰川の南、凡て南条の庄と唱へしならん、 八田 牧名に記せり 加賀美 或は各務、又鏡に作る、〈◯中略〉 鮎沢 又相沢とも作けり〈◯中略〉 奈胡 或は奈古、那古とも作き、今は南胡と作けり、東西二村有り、〈◯中略〉明徳二未年法善寺領記に、七段奈胡庄、浅原郷之内中泥村有之雲々、〈◯中略〉 稲積 里名に記せり 布施 春米村明王寺の地蔵霊験記に、胡摩郡布施庄と申は、上古小井河庄とぞ申ける、其頃儀丹上人と雲明匠あり、〈◯中略〉帝王御病脳により祈禱お命ぜられ、法験新らたなればとて、其地お布施物に給へり、因て地名となると雲々、〈◯中略〉 下山 大系図に、下山小太郎光重は、秋山太郎光朝の男とあり、〈◯中略〉本村は西に山お負ひ、東は富士川に傍ひ、北に早川の急湍あり、南は身延山に続き、波木井村の堺宮の北に、関島と雲処在り、関門の跡なるべし、界内方一里余、要害堅固なる地にして、河内領第一の殷邑なり、 都留郡 鶴田 奥田丸の舞に、奥田丸は和田義盛の弟、和田三郎宗実が子、この年十三、雲井の鶴お射とめける、頼朝烏帽子児として、和田の平太胤長と名のり、則ち数多の庄お賜ふ、近江に河原庄、伊勢に車庄、尾張に青柳庄、美濃に山田庄、信濃にさヽへの庄、甲斐に鶴田庄、越前に田中庄、よき庄七箇所賜はるとあり、本郡の鶴川鶴島の両村に、鶴田といふ地あり、此あたり古時の鶴田の庄ならんか、猶考ふべし、 大原 河口湖の涯に縈回たる、大石、長浜、大嵐、鳴沢、勝山、木立、船津、河口、浅川、新倉等の諸村お大原の庄なりといふ、古時八代郡に属けりといふ、〈◯中略〉 波加利 里名にもあり、〈◯中略〉按に、波加利は初狩なり、又初雁と作く、黒岱より下初狩まで皆一郷なるべし、今中初狩下初狩ありて上初狩なし、黒岱蘆窪〈又阿弥陀海道といふ〉白野の三村、古へ上初狩の地ならん、 古郡 福地 共に郷名に記せり