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甲斐国志
百二十三産物及製造
製造品 一郡内絹 郡内とは都留郡の自称なり、絹綿の事は、旧と波多八代( /はだやつしろ)宿禰の事跡に拠る、〈古跡部に詳にせり〉八代は山背の義にて、富士山の北お雲、波多は絹綿の肌膚軟なる義なり、秦氏の事は古語拾遺に見たり、富士の西北、古昔属八代郡、其地闊し、都留郡及駿州富士郡と同く、蚕桑お専業とせり、古歌、するがなるふじのくわこのにひわたは高ねの雪の色ににるらし、雪お絹綿の白比して賞したるなり、延喜式に、本州貢帛の品多し、残簡風土記、八代郡、〈上略〉命武庫織染之料、都留郡貢生衣麻布武器等と、所因来久しと謂ふべし、東鑑、建久六年、駿河国富士郡済物綿千両、被進京都雲々と見たり、其頃までも富士郡に蚕桑多かりし趣なれども、暖地に不宜故にや、後には其事止みぬ、本州八代山梨二郡は、今尚専らにせり、特り郡内の名、公然と世に行るヽこと、寒凄の地養蚕に宜き故なるべし、且絹の品類多内に、互善悪あり、必婦女の手慣たるのみにも非ず、元来水土に因る者なり、 糸 山梨郡三日河の水お用る処、其色佳して、粥にも増直と雲、索縷( /いととる)に始より、繭お浸水享る、謂之沈( /しずめ)繰、繭沈釜底也、沸湯に繭お入れて享れば、繭は水上に浮ぶ、浮繰( /うかびどり)と雲、是お佳とす、都留郡桂川の水、清麗殊に宜し、 絹帛 白縞( /しま)織物品々、今挙て記し難し、郡内八代山梨三郡、凡て活業となす、 紬(つむき) 緝(つむぐ)糸と雲義にして、継続の意、絹の麁なる物なり、南部村の柳島、岩崎紬等、古より州に名あり、 ふとり 答布〈太布〉綌( /さよみ)の義にて、猶以て麁なり、始索縷( /いととる)とき、緒お揃るとて、撮切たる者お、ふりと名く、此等の糸くずお聚め績みて織るなり、あがり名付は、繭の撚糸すぢの立ざる者なり、綿に造るべし、 綿 白井郷お佳とす、曾禰には運上永あり、凡養蚕の村にて桑お畠畔に植るは、桑束とて本高に入て米納す、 一木綿布 木綿の条に記せる如く、軍鑑に甲州名物とは見たれども、今は業として、他方に粥ぐに足らず、為国用のみなり、織布具に方言多し、今略之、布尺一反二丈六尺〈二丈七尺に裁す〉お法とす、後に長尺とて、二丈八尺三丈にも造れり、奈胡白布雲は木綿の好処なればなり、志麻庄、縞( /しま)布、岩崎の布など州に名お得たり、但本州は長機なり、一機に五反六尺より十反までも続緯て織る、是お他州に異なりとす、 け衣 今不詳〈史記夏本記に、織皮注雲、今之罽(けごろも)也、又織皮為地名、蓋是か、或雲残簡風土記貢物、有生衣麻布、生衣け衣と訓ずべきにや、〉夫木和歌集かひのけ衣、 月かげにかひのけ衣さらすかとみればしらねの雪にぞ有ける ふりつもるしらねの雪はいなおさのかひのけごろもほすとみえけり、軍鑑に、御料人様音物けかけの帯〈上中下〉三百端と有り、異同未考、 一塩硝 中郡蓬沢村〈清七利助〉二人、御用塩硝お製し、且州中猪鹿おどし筒に用る塩硝お售る、 一紙 八代郡市川大門村にて漉出す、良品して且多し、毎年御用紙被仰付、運上紙取立役人等の事は、令吏附録に委し、紙品は、肌吉( /はだよし)、奉書、〈肌吉或は膚好に作れり、厚肌吉小肌吉あり、皆御用品也、〉糊入、檀紙様(だんしで)、小半紙、生漉、半切、五色半切、唐紙様、黒白麁皮紙等なり、本村楮皮お用ふ、結香( /みつまた)入たるは好からず、〈◯中略〉 一苧 逸見筋諸村にて多く植麻製之、大八幡村殊に名あり、北山筋山中諸村にても作之、麻布お織り出す、凡窪八幡及河内領、西郡の内織藺席処にては、皆麻お植て糸に用ふ、 逸見、河内にて製し、自用にする太布は藤蔓の皮なり、 一藁( /むろし)筵 所在にて作れども、河内領田原村にて織るお名とす、北山筋の志麻、千塚村よりも多出す、藁は積翠寺村の産、良田にして長し、 一甕 北山筋の宇津谷村、武川筋の下条南割にて造るは、水甕に用ふ、府中一蓮寺の寺家町にて作る土器種々なり、昔時一条の大団扇と雲こと、軍鑑に見たり、土鍋( /はうろく)は竜地村にても造れり、本州には陶工は無し、 一索麺 身延町にて製する者、松平甲斐守六月の献上物なり、 豆( こ)腐皮( ば)、榧飴、念珠は数品ありて、梅、桜、蘭、黒柿、枸骨等の木お用て造る、 一菅笠 北山筋の湯村にて製する者麁品なり、西郡寺部村に毛代( /けたい)と雲処あり、中郡大津村にも笠縫と雲者あれども、今は造らず、