[p.0765]
新編相模国風土記稿
二建置沿革
平相国清盛威権并なかりし頃より、諸国荘園の地多くなり、〈◯註略〉本州中も、多くは武臣の私有となり、荘園〈◯註略〉と称する地、居多にして、古昔の郷名お廃し、或は私の郷名お唱へ、或は荘名お唱ふる地多くあり、即郷名には、足柄上郡に河村郷、〈今郷名は唱へざれど、遺名猶存せり、◯中略〉松田郷〈今郡中松田総領、同庶子二村に此郷遺れり、◯中略〉同下郡に桑原郷〈今郷名お唱へず、郡中桑原村其旧止なり、◯中略〉土肥郷〈(中略)今此郷名お唱へず〉田島郷〈鶴岡蔵、寿永二年の文書に見ゆ、今尚此郷名お唱ふ、〉高田郷、〈同じ文書に見えたり、倭名抄にも出て旧き唱なり、今は称せず、高田村其遺名なり、〉大住郡に波多野郷〈(中略)今此郷名お唱へず〉高部屋郷、〈大山寺蔵、元暦元年の文書に見ゆ、今郷名お廃す、糟屋村其遺止なり、〉坂間郷、〈鶴岡社人金子氏蔵、元暦元年の文書に見えたり、今は唱へず、坂間村其遺称なり、〉高座郡に俣野郷〈(中略)今此郷名お唱へず〉鎌倉郡に小林郷〈(中略)今尚現存せり〉大倉郷〈(中略)今此郷名お唱へず、郡中雪下村谷合四け村の辺旧止なり、〉由比郷〈(中略)今此郷名お唱へざれど、由比浜辺の邑里お雲へるなり、〉村岡郷、〈鶴岡香象院蔵、建久二年之文書に見ゆ、今此郷名お存す、〉岩瀬郷、〈上の村証菩提寺蔵、仁治元年の文書に出づ今郷名お失す、岩瀬村其遺名なり、〉倉田郷〈是も同じ文書中に見えたり、今郷名お唱へず、上下倉田二村其遺称なり、〉矢部郷〈(中略)今此郷名お唱へず、郡中大矢部小矢部二村其遺従なり、〉長尾郷〈鶴岡相承院蔵、正元元年の文書に見ゆ、此郷名も今尚存せり、〉三浦郡に矢部郷、〈◯下略〉