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海道記
源光行
申の刻〈◯貞応二年四月十七日〉に湯井浜に落著ぬ、しばらく休みて、此所おみれば、数百艘の舟ともづなおくさりて、大津のうらに似たり、千万宇の宅軒おならべて、大淀のわたりにことならず、御霊の鳥居の前に日おくらして後、若宮大路より宿所につきぬ、〈◯中略〉十八日、此宿の南の軒ばに、高き丸山あり、山の下に細き小川あり、峯のあらしこえ落て、夕の袖おひるがへし、湾水ひヾきそヽぎて、夜の夢おあらふ、年頃ゆかしかりつる所か、いつしか周覧相もよほし侍れども、いまだ旅なれば今日はむなしく暮しつ、〈◯中略〉其後立出てみれば、此ところの景趣は、うみあり、山有、水木たよりあり、広きにもあらず、狭にもあらず、街衢のちまたは、かた〳〵に通ぜり、実に此聚おなし邑おなす、郷里都お論じて、望まづめづらしく、豪おえらび賢おえらぶ、門拡しきみおならべて、地又賑り、おろ〳〵将軍の貴居お垣間見れば、花堂たかくおしひらいて、翠簾の色喜気おふくみ、朱欄妙にかまへて、玉砌のいしずへ光おみがく、春にあへる鶯のこえは、好客堂上の花にあざけり、あしたおおくる竜蹄は、参会門前の市に嘶ゆ、論ぜず本より春日山より出たれば、貴光たかく照て、万人みな瞻仰士風塵おはらふ、威験遠く誡て、四方こと〴〵く聞きにおそる、何ぞ況や旧水源すみまさりて、清流いよ〳〵遺跡おうるほし、新花栄鮮にひらけて、紫殿はるかに万歳おちぎる、凡座制お帷帳の中に廻て、徴粛郡国の間につくめたり、しかのみならず、家室は局おわすれて、夜の戸おおしひらき、人倫は心お調てほこるともほこらず、愚政の至り治りて見ゆ、 夜の戸ものどけき宿にひらくかなくもらぬ月のさすにまかせて、此縁辺に付て、おろ〳〵歴覧すれば、東南の角一道は、舟接の津、商売の商人、百族にぎはひ、東西北の三方は、高卑の山風のごとくに立廻て、所おかざれり、南の山の麓に行て、大御堂新御堂お拝すれば、仏像烏瑟のひかり、瓔礫眼にかヾやき、月殿画梁のよそほひは、金銀色おあらそふ、〈◯下略〉