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武蔵国は旧く身刺、又は牟邪志と書し、並に之おむさしのくにと雲ふ、東海道に在り、東は下総、西は信濃、甲斐、南は相模、北は上野に界し、東南海湾に至る、東西凡そ二十六里、南北凡そ二十五里、其地勢は、利根の河流北境お摎り、秩父の山峯西堺に連る、其間概ね平夷壙闊、所謂古の武蔵野にして、実に坂東平野の中部に属せり、此国は古へ国府お多磨郡に置き、久良(くらき)、都筑(つつき)、多麻(たま)、橘樹(たちばな)、荏原(えばら)、豊島(としま)、足立(あだち)、新座(にひくら)、入間(いるま)、高麗(こま)、比企(ひき)、幡羅(はら)、横見(よこみ)、崎玉(さいたま)、大里(おほさと)、男衾(おぶすま)、榛沢(はんざは)、那珂(なか)、児玉(こだま)、賀美(かみ)、秩父(ちヽぶ)の二十一郡お管し、延喜の制、大国に列す、後下総国葛飾郡の一部お割きて、此国に属せり、徳川氏幕府お此国に定むるに及び、田野日に開け、人衆月に加はり、国況一変す、明治維新の後、豊島、葛飾、足立、埼玉の四郡お各〻南北に、多摩郡お東西南北の四郡に分割し、凡て二十九郡お立てしが、後更に廃合お行ひ、東多摩、南豊島二郡お合して豊多摩郡お置き、横見郡お比企郡に、那珂、賀美の二郡お児玉郡に、幡羅、男衾、榛沢の三郡お大里郡に併せ、又下総国中葛飾郡お割きて北葛飾郡に併せ、新に東京市、横浜市お置て、二市二十郡と為し、東京府、埼玉県、神奈川県おして之お分治せしむ、