[p.0792]
古事記伝

牟邪志(むざし)国造、武蔵なり、今は邪(ざ)お清(すみ)て唱れども濁るべし、此邪、又蔵の字、又万葉十四に、牟射志野(むざしぬ)と書る射の字、いづれも濁音に用る例なり、名義未思得ず、〈師説には、相模武蔵もと一つにて、牟佐なるお上下に分て、牟佐上牟佐下と雲、その上は牟お略き、下は毛(も)お略けるなり、凡て牟佐てふ地名国々に多く、又東の国々は、上総下総上野下野などの如く、上下に分つ例なりとあり、此説うち聞には諾なりとおぼゆれど、なほ定め難きことあり、其由は中巻倭建命の処に雲べし、〉