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諸国名義考

武蔵 和名抄に、武蔵〈牟佐之、国府在多麼郡、〉名義はいまだ考得ず、県居大人は身狭上(むさがみ)に対ひたる身狭下(むさしも)なりといはれつれど、諾ならぬ事は上に雲り、古事記伝に、〈〇中略〉名義いまだ思ひ得ずとあり、立入信友雲、国造本紀に無邪志(むさし)の国造の次に、胸刺(むなさし)の国造とあるも、近き地名と聞えたり、胸刺身刺(むさし)などの古事によれる地名ならむかといへり、続日本紀称徳天皇神護景雲二年六月癸巳、武蔵国献白雉雲々、奏雲、雉者斯良臣一心忠貞之応、白色乃聖朝重光照臨之符、国号武蔵、既呈戢武崇文之祥雲々とあるは、もと牟邪志の三字お好字に改め、二字に定め、武蔵(むざ)と書て志(し)の字お略かれしより後に此国より白雉お奉りしにつきて、武蔵の二字お祝して奏したる詞なり、必しも国名の起りと莫(な)思ひ誤そ、さるお或書に、武蔵国風土記とて引たるに、武蔵国秩父嵩者、其勢如勇者怒立、日本武美此山、奉為祈禱、以兵具納埋岩蔵、故曰武蔵といへるは、いにしへ字音のなき事おも、和銅の勅命おもしらぬ後人の字義になづみたる偽作なり、かにかくにしれがたき国号なり、