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武蔵志料

国境四至 武相堺杭在〈武橘樹郡程谷、相鎌倉郡平戸、 矢宿は相中にて、平戸より又先なり、〉 戸塚堺杭 癸未紀行〈林道春〉寛永廿年九月 矢宿坂、在戸塚東一里計、土人曰、是武蔵相模堺也、 関左風烟湘水雲、今看俗習異曾聞、担夫向客聊饒舌、相武二州従此分、 今按に、武蔵相模の堺杭は、矢宿坂にあらず、それより北方にて、信濃坂の中程に有、武蔵の国は橘樹郡程谷宿と、相模国は鎌倉郡平戸村との堺に有、今はそこに榜示杭有て、堺の地蔵とて小堂あり、矢宿はやがて相模の国内にて、平戸村より又先にあり、からたがひは誰も有事にて、往来経過の時、人の雲にまかせてしるすものなれども、百年以前といひ、且は名家の雲置し事故、さもやと思ふ人も有んとてしるしつくるものなり、