[p.0797][p.0798]
続視聴草
二集十
武蔵国略図附略考 浅草川〈旧名荒川、世俗両国川と雲、〉以東新武州の地は、古昔下総の国に属せしお、後世変革ありしと雲事は、皆人の知る処なれど、その国界改りし年歴お未だ詳にせず、江戸砂子等に、元禄或は貞享中の事と雲は、もとより無稽の説にして論ずべくもあらず、現に正保の比成しと雲御国絵図には、利根川〈国府台下お流るゝ川筋也〉以西お武蔵国に属したり、又天正十九年、葛西金町村の鎮守香取社へ御寄附ありし御朱印の文にも、武蔵国葛西金町郷と記されたれば、是よりさきに改りし事、疑ふべくもあらず、予〈〇三島政行〉前に地理志編集の事に与りし時、私に葛西志と雲もの編録して奉りし頃、此変革の証お得まく思ひて、普く募りしに、たま〳〵或村民の家に伝へし古文書一通お得たるもの、右に摸刻せるが如し、〈〇摸刻略之、但此文書収載郷条、〉此書年代記ざれど、政助は古河公方政氏の家老にて、簗田大炊頭といひし人なれば、その時代推て知るべく、且平沼の郷と書しは、今の二郷半領平沼村なれば、此頃既に武州と唱へし事証すべし、然れば、たヾに天正頃のみならず、其改りし事の古きお知べし、此書実に明証なれば、予篤く乞て珍蔵せしが、後熟察するに、かヽるものおひめ置んは所謂和氏璧お櫃に蔵するに似て益なし、しかじ是お世に公にすべしとて、王子金輪寺は、好古者のつどへる処なれば、かの寺僧に謀りて、社宝の一品に寄納し、且因に新武州変革の大略、及此文書年代等の愚考おも附記したれば、志あらん人は、その真蹟お一覧して、予が妄言ならざる事お知り給へかし、 丙申木王月 凸凹斎識