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新編武蔵風土記稿
九豊島郡
総説 今按に、大古は武相の界は、山野にて人跡通ぜず、故に海道は相州より安房国に渡海し、夫より上総下総に達す、是武総の界も蒼海に隔られしなれば、斯の如くならざる事お得ず、故に当時当国は山道に属して、上野国より府中に達し、又同道お反りて下野に達せしなり、然に安閑天皇より光仁天皇まで、世は二十二世、年は二百四十余年お歴るの間、武相の界避けて往来通じければ、相模国高座郡、伊参駅と当郡、豊島駅との間に三駅お置れ、荏原郡、大井駅より豊島に通じ、夫より乗瀦駅に至り、扠下総国葛飾郡の駅に達せしなり、然ども旧に依て、当国尚山道に属せしかば、官使の来る上野国邑楽郡より横ざまに同郡五個駅お経て乗瀦駅に至り、夫より豊島お経て府に達し、事畢て又同道お反りしなり、されば豊島、乗瀦、山海両路お承くとは雲しなり、