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武蔵演路

葛飾郡は、本所、葛西、二郷半、幸手、杉戸、栗橋辺迄、凡十一万石余の郡にして、延喜式、源順倭名抄等、武蔵二十一郡にて、此郡あらず、下総国に在し也、然れども東鑑太平記等お考るに、武蔵国住人葛西氏の名出たり、若此比は武蔵に属せし事ありや、又伊勢物語にもむさし下総の間にある隅田川とあり、但し是は隅田川の説区々あれば、とね川の事おいヽしもの歟、且歌書名所によれば、隅田川はいづれも下総にいれたり、武蔵二十二郡と改まりしは近代の事にて、元禄中といふ、利根の流れお境とし、故葛西といへるは利根川の西葛飾といへる事也、下総国の葛飾郡は、利根川の葛東也、