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新編武蔵風土記稿
一百五十足立郡
川面(つら)村 此地は古く開けしにや、相模国鶴岡八幡社領寄附状の内、上杉民部大輔が寄進状にも其名見えたり、其文に、 寄進 鶴岡八幡宮 武蔵国箕田郷地頭職内河連村(○○○)〈除寺社領并人給地〉事 右為天下安全武運長久所被寄進也者、守先例可被致沙汰之状、依仰執達如件、 応安元年八月廿一日 沙弥判(上杉民部大輔法名道昌)