[p.0905]
新編武蔵風土記稿
一百七十六高麗郡
総説 小田原北条家人所領役帳に、新田又七郎が領せし頃、河越三十郷の内上は戸村とのす、〈〇中略〉上は戸村お謂て、川越と書するおもて考れば、往古川越の地は、川お挟て称すること明らけし、日吉山王鐘の銘に、文応元年に、河肥庄と書するものあり、左すれば川越の唱、もとよりありしこといよ〳〵明らけし、河お川とし、肥お越と書するものは、後世改むるものなるべし、