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和漢三才図会
六十七武蔵
当国〈神社仏閣名所〉 霞関(かすみのせき) 今在桜田之内、此辺有白糸滝、 同じくは空に霞のせきもがな雲路の雁おしばし留めん(続千)〈為世〉 小山田関(おやまたのせき) 逢事お苗代水に任せてぞこさんこさじは小山田のせき(夫木) 箱(はこの)池 冬深み箱の池辺お朝行ば氷の鏡見ぬ人ぞなき(同)〈知経〉 小崎(おさき)池 山鳥のおさきの池の秋の月扠や鏡おかけて澄らん〈為尹〉 掘兼(ほりか子の)井 在豊島郡玉川里、俗雲牛込、〈又雲小日向(ひなた)〉 其井不用幹繘(いけたつるべなは)お汲而不涸、雖水旱時無増減、清冷以為奇、 むさしのヽほり兼の井も有物お嬉しく水の近付にけり(千載)〈俊成〉 譲(ゆつりの)井 在桶町、最冷水、酒造家争汲、 新(あら)井 在西新井村増司寺、俗伝謂弘法加持涌出、 極楽井 在小石川伝通院、当時開基了誉始堀之、冷水、 逃(にけ)水 東路に有といふなるにげ水のにげ隠れても世お過す哉(夫木)〈俊頼〉 鞍掛(くらかけ)松 在千駄茅野、源頼朝繫乗馬於此松雲雲、 真土山 或為待乳山、千寿街道也、山上在聖天宮、 真土山夕こへ暮ていほさきの角田河原に独かもねん、 妙亀山 在浅茅原総泉寺前 相伝、梅若丸死于角田川岸、母尋来営小庵、修念仏、終投身於池死、其池曰鏡池、里人立塚、名妙亀山、 角田(すみた)川 〈一名三屋戸川至下浅草川、〉武蔵下総之界、川上称刀根川、 水ぐきの跡かきならすすみだ川ことづてやらん人もとひこず 玉川(たばかは) 〈俗雲太婆加波〉出於池上之北、落于六江、〈矢口の渡〉 玉川のさらす細布さら〳〵に昔の人の恋しきやなぞ(拾遺) 二俣(ふたまた)川 畠山重忠戦死之地〈〇中略〉 崎玉津 さき玉の津におる船の風おいたみ綱は絶とも事な絶そね(万葉) 入間里〈同川〉 さりともとたのむの雁お頼にて入まの里にけふぞ入ぬる 都筑(つヽき)原〈同岡〉 むさし野の草のゆかりも問詫ぬつヾきの原の雪の夕暮(千載)〈顕昭〉 武蔵野 行末は空も一つにむさしのに草の原より出る月かげ 当国寺社、及名所数多不枚挙、