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武蔵演路

南向亭追考に、古老雲、平河一水お隔て、今の二之丸の方は江戸の郷、日輪寺の方は神田の郷也と雲、以是考れば、今の西丸辺の所わづかの地お、江戸の郷と雲しと思はるヽ也、 又往古いまだ町々ならざる頃は、江戸宿と雲しよし、古きものにみゆ、又古へ江戸の辺お中武蔵と雲しよし、是も古書に出す、又寛文江戸古図に、武州江戸庄とあり、 又延宝古図に、日本橋辺より白銀町お限りて、此所に、此土手より北は神田、南は江戸とあり、 今江戸と雲地は、大城お以て中央とし、大凡行程四里四方にして、其真中お府内と称す、 江府内外お分つ傍示杭、江戸橋々已上二十九け処に有之、元禄十一寅年に被建、右府外町並といへども、御年貢御代官御支配、其外万事町御奉行所御支配也、