[p.0945]
慶長見聞集

南海おうめ江戸町立給ふ事 見しは昔、当君武州豊島の都江戸へ御打入よりこのかた町繁昌す、しかれ共、地形広からず、是に依てとしまの洲崎に町おたてんと仰有て、慶長八卯の年、日本六十余州の人歩およせ、神田山おひきくづし、南方の海お四方三十余町うめさせ、陸地となし、其上に在家お立給ふ、〈〇中略〉此町の外家居つヾき広大なる事、南は品川、西はたやすの原、北は神田の原、東は浅草まで町つヾきたり、