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太政官日誌
四十六
詔書写 朕今万機お親裁し、億兆お妥撫す、江戸は東国第一の大鎮、四方輻湊の地、宜しく親臨して其政お視るべし、因て自今江戸お称して東京とせん、是朕が、海内一家東西同視する所以なり、衆庶此意お体せよ、 辰〈〇明治元年〉七月 慶長年間、幕府お江戸に開きしより、府下日々繁栄に趣き候は、全く天下の勢斯に帰し貨財随て聚り候事に候、然るに今度幕府お被廃候に付ては、府下億万の人口、頓に活計に苦しみ候者も可有之候哉と、不便に被思召候処、近来世界各国通信の時態に相成候而は、専ら全国の力お平均し、皇国御保護の御目途不被為立候而は不相協御事に付、屡東西御巡幸、万民の疾苦おも被為聞度深き叡慮お以、御詔文之旨被仰出候、熟れも御趣意お表戴し、徒に奢靡の風習に慣れ、再び前日の繁栄に立戻候お希望して、一家一身の覚悟不致候而者、遂に活計おも失ひ候事に付、而後銘々相当之職業お営み、諸品精巧、物産盛に成行、自然永久之繁栄お不失様、格段の心懸可為肝要事、