[p.0958]
江戸砂子

番町〈東西十六町南北七八町〉四谷市谷牛込の三御門の間、御外廓の内お雲、此内御旗本衆のやしき也、一番町より六番町にいたり、うら表新道土手何番町などヽありて、むづかしきやしき町也、一書曰、御旗本御番方の武士お御城西の方に置るヽ、町割お賽の目お用ひられ、番町とせらるヽものは、慶長の御下知たり、二四六の偶目は陰なるゆへに裏町お用ひられ、奇目は陽なるゆへ、その町一町づヽ也と雲、又曰、今の愛宕山後天徳寺の西城山といふ所より、西北の方上高田下高田といふ地まで、牛込忠左衛門殿先祖知行三千石の場なりと、