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南向茶話
問曰、番町の名目壱より六迄有之候事、由来も有之候哉、 答曰、此地に数代居住せし古老の物語に、御入国の始、麾下の士に此地お下され候刻、六組に分て勤仕致し、故に壱より六迄の名目ありて、前後入込候由、五番町と申所は、隻今小計残り候は、糀町の内へ入申候由なり、又彼老人の物語に、六番町の方へ市ヶ谷御門より上る坂お、三年坂と呼び候事、寛永十三年、外廓出来の刻、新に開ける坂故に雲爾と雲々、是に付て思ふに、牛込神楽坂より北へ築土へ出る、小坂おも、三年坂と号するも同意なるべし、京都東山清水観音門前より横へ北へ下る坂おも、三年坂と号するは、清水は大同二年に草創、同三年に此坂お開ける故に雲爾と、旧記に載之と同日の談なるべして、又麹町貝坂は、元は芝青松寺の旧地にて、此寺青松甲斐と雲人の草創由、此所当時玉虫氏の屋敷に其跡あり、故に甲斐坂と雲よし、