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江戸往古図説

神田村 北条分限帳にも神田の名みへたり、〈〇中略〉 神田之名義、往古は一国に一所づヽ神田と号せし地有て、其歳の初穂お伊勢両宮へ献ずる旧例也とぞ、今絶て此義なし、然るに此地柴崎村お以神田とす、故に神田大明神と雲、往古此わたりは皆田畑壙野の地の田、古き書に見えたり、小川町辺も三崎村とて、田畑茅野なりと、三崎神社の縁起にもみゆ、此三崎稲荷の祠至て旧社のよし、しかれども鎮坐年代は、不知と雲、今の三川町の地も、三つの小流れ有しゆへ此名ありと雲、小川町も小川の流れありしゆへと雲、又其後の比に至り、国初の比は、通り町と三川町のみにて、外は田畑寺院のみ也と雲、