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御府内備考
八十四飯倉
此地は、飯倉村とて、ことに古き地名にて、又広き村なりとみへし、〈〇中略〉江戸古地図にも飯倉村あり、北条役帳に、飯倉弾正忠某といへるもの、此地お三貫八百七拾文領せしよしみゆ、この弾正忠が家、世々この所の領主として、その地の名により、飯倉お氏とせしなるべし、又太田新六郎某も、同じ比飯倉内小早川十四貫文の地お領せしよし、北条役帳にいづ、〈〇中略〉すべて西久保芝神明辺なども、飯倉のうちなりしとみえ、政随録に、飯倉西久保石河蔵人町屋敷など記し、神明お飯倉神明ともいへり、今は飯倉町六町、飯倉狸穴町、飯倉片町、飯倉永阪町等の飯倉の名残りて、芝麻布西久保の間に挟れる地名となれり、