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御府内備考
七十三澀谷
澀谷は広き地にて、今上中下の三村に分れ、又上中下豊沢三村も、元は澀谷の内なりしお、元禄の頃別村と成りし処なり、よりて後人附会して、東鑑、治承五年八月二十八日辛末の条に、澀谷庄司重国の次男、無弐の忠節お竭の間、澀谷下郷お知行すべしとあるお、当所の如く伝へたるは謬なり、相模国高坐郡に、澀谷庄の名今も残りて、しかもそのかヽる処甚広ければ、重国等の住居せしは、彼地たりし事明し、殊に東鑑、文応二年五月十三日、佐々木壱岐前司泰綱、澀谷太郎左衛門尉武重と口論に及びし条に、先祖重国は、誠に相模国大名の内なり雲々とも見えたり、当所はもしくは彼が氏族の者など住せし地にて、後年村名となりしは知べからず、