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新編江戸志
七上
青山〈澀谷の内〉 天正の比、此辺山口修理亮重政住す、麻布辺まで此屋しき也、其内七万坪お分て、婿高木主人正正次のやしきとする由、 一説にいはく、青山忠政十万石の時は、今の青山の地一円に屋敷也、其後忠俊幸成兄弟、街道お隔て住せしとなり、按ずるに山口家一度御勘気の事あれば、其跡の地お青山家に給はりしにや、然れども今に山口家の屋敷も残りてあり、山口家、高木家、地はみな澀谷の方なり、青山家の地とは余程隔たり、尚後の人尋ねべし、改撰系譜に雲、天正十九年、青山常陸介忠成に此処お宅地に賜ふと有、是より青山と号すと雲々、