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南向茶話
問曰、四谷之儀、田舎にて民家の家数により、三軒家、四軒家など申候へば、其例に、以前民家少き時の号なるべしと被存候、左候はヾ、谷之字誤りにて候半か、如何、 答曰、仰の通り、我等にも左様に相心得居候処、彼地に久々居住せし老人物語致され候は、古来此地、今の糀町六七町之内之所谷あり、又今の塩町の所も谷にて坂有り、其前に民家一軒有之て、夫婦居住せし故に、俗に夫婦と呼し也、寛永十三年外廓出来之刻、御堀揚土お以、東西両谷埋め候ゆへに、平地となり、谷なしと雲とも、旧名残り、塩町の入口お坂口と小名に呼び候は此所也と雲、此地東西南北ともに谷有ゆへに、四つ谷と号する由、