[p.0969]
御府内備考
六十一四谷
四つ谷は、〈〇中略〉事蹟合考に雲、往古は今の尾陽公の表門の辺に民家一軒、坂町の上の方に一軒、その外の所はさだかならざれど、二軒ありしより、鳴子高井戸の方より四谷と称して、往来のやすらひ所としたりといひ伝ふと、此余江戸砂子等に、昔四ヶ所の谷ありしより起りし地名なりと書しは、全く文字につきての億説にして、取べきものあらざれば省きて載せず、今四谷と称するの大様、東は四谷御門御堀に限り、西は内藤宿追分に及び、南は紀伊御屋鋪及び鮫け橋、千駄け谷等に続き、北は市け谷、大久保に境ひたれど、地形多く犬牙して定かならず、又内藤新宿は、元四つ谷の地なれど、元禄年中、新に宿駅お立られしより、御代官の支配となり、四つ谷外の地となれり、