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御府内備考
五十三牛込
中古上野国大胡之住人大胡彦太郎重治といひし人、当国にうつり、〈年時お詳にせず〉此豊島郡牛込村にすみ、小田原の北条に属せり、その子宮内少輔重行、天文十二癸卯年の秋、七十八歳にして卒す、その子宮内少輔勝行が時に至り、天文廿四乙卯年〈弘治元年なり〉五月六日、北条氏康に、告て大胡おあらためて牛込氏となれり、此時氏康より判物お賜ひ江戸の内牛込村、今井村、〈今赤坂にあり〉桜田村、日尾屋村〈今日比谷なり〉お領せり、〈他国の領地は略せり〉勝行天正十五丁亥年七月廿五日卒す、とし八十五歳、〈牛込系図〉又北条分限帳お見るに、江戸牛込六十四貫四百三十文之地お、大胡某領せしよしのす、〈この分限帳は、永禄のころ改めし也、されどこの大胡といへるは、牛込勝行がことなるべし、この頃ははやあらためしなれど、末ふるきによりてかき攺ざりしと見ゆ、〇中略〉今牛込と称するの大やう、東は小日向、関口、早稲田、中里等に境ひ、南は御堀、及市け谷、船河原町に限り、西は都而市け谷に続き、北は大久保高田に及ぶ、此余牛込在方分の地、中里村、早稲田村続に在り