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御府内備考
二十九湯島
湯島は和名抄豊島郡の郷名に出て、由之万と訓註あり、総国風土記に、湯島、公穀六百七十二束、三字田、仮粟三百九十二丸、三字田、貢鹿狐走兎岡領馬牛等と載す、又小田原役帳に、中村平四郎買得三十八貫文江戸廻湯島之内、竜崎文四郎五十三貫百十二文江戸湯島とみえたり、又尭恵法師の北国紀行に、文明十八年筆記、忍の岡の並びに、油井島といふところあり、古松はるかにめぐりで、注連のうちに武蔵野の遠望おかけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず、是は北野の御神と聞しかば忘れずば、こち吹むすべ都までとほくしめのヽ袖のむめか香、此北野の御神と書しは、恐くは今の鎮守天満宮なるべし、江戸志に、湯島は和名抄に出たれば、もとより古き地名也、いにしへは湯島本郷は一つにて、後に本郷別れたるべしと雲、此説実お得たるが如し、何れの地にも本郷と雲処まヽあり、皆其郷の本たるに依て、直に本郷とのみ言に似たり、然れば本郷かへりて湯島の元地にして、今の湯島は後年その名の広く推及びし処なるべし、古の如く本郷お合ていはヾ最広き地域なり、今湯島と称する地形の大様は、東の方下谷へ並び、南の方神田川に限り、西の方本郷に接し、北の方池の端榊原遠江守等の屋敷に続く、〈案に榊原氏等の屋敷も、元は湯島の内にや、或は本郷に属せしも知るべからず、今其地不忍池に近きおもて、通じて池の端と言、〉