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南向茶話
問曰、浅草辺の義承り度候、 答曰、浅草の名旧記にも相見へ候得共、其由来しらず、茅町瓦町居民の説、昔は瓦町にて瓦お作り候、茅町は茅の売買おなしけるといへり、凡八丁堀の茅場町は、往古茅商売の所なり、其後明暦年中巳後、此所両国橋向へ被移候、其後元禄初頃に、隻今の本所四つ目へ被移候由也、是は茅問屋数代商売致候者の物語也、橋場辺の義、此地の古老物語に、いにしへ此処に橋有候故に、橋場と号しけると雲、